2020.07.14 | コラム

諸葛孔明はなぜ死んだ?:死因を医学的に考察

三国志に登場する奇才:諸葛亮の死因を現代医学の観点から考察します

諸葛孔明はなぜ死んだ?:死因を医学的に考察の写真

「建興12年(西暦234年)諸葛孔明、五丈原の陣中に没す。享年54歳。」

三国志を読んだことのある人は記憶に残っているショッキングなシーンだと思います。諸葛亮 [字(あざな)は孔明]は亡き蜀の初代皇帝:劉備(りゅうび)の遺志を継いで、漢王朝を復興させるべく魏との戦いを繰り返しましたが、志半ばで亡くなりました。

その死因について歴史書の記述は乏しく、過労死だという説もあるようです。今回のコラムでは現代医学の視点から歴史書の数少ない記述を分析し、諸葛亮の死因について改めて検証してみたいと思います。

1. 諸葛孔明の生涯

死因を考察する前に、簡単に諸葛亮の生涯について振り返ります。

諸葛亮は西暦181年に生まれました。荊州(現在の湖北省一帯)で長らく晴耕雨読の日々を送っていましたが、その才能を伝え聞いた劉備が3度諸葛亮の家に自ら足を運び、やっと配下に迎えることができました(三顧の礼:さんこのれい)。

その後、劉備の軍師として「天下三分の計」を考案して魏・呉・蜀の三国時代を築き、主君の劉備は蜀の初代皇帝となりました。西暦223年に劉備が崩御した後は、中華を統一して漢王朝を再興するという劉備の遺志を継いで、魏との戦いに明け暮れました。

諸葛亮は魏への北伐を5度繰り返しました。しかし蜀は国力で劣り、権謀術数に長けた魏の軍師:司馬懿(しばい)らに阻まれ、悲願は達成できず戦地:五丈原で亡くなりました。

 

2. 健康状態についての記述

ここで今回の本題である、諸葛亮の健康状態についての記録を参照してみます。

「三国志 蜀書 諸葛亮伝」によれば、諸葛亮は早朝から深夜まで働き、本来部下がこなすような仕事まで自ら行っていました。一方で、最後の出陣となる5度目の北伐の際には食事量が少なくなり、床に伏せることが少しずつ増えていったようです。また、他の記録によれば、憂いや怒りのために血を吐いて亡くなった、という記述も見られます(ただし、これは誇張であり事実でないとする説もあります)。

諸葛亮の健康状態についての記述は乏しく、当時の記録から読み取れることは上記の内容くらいしかありません。

 

3. 死因に対する考察

情報は多くありませんが、以上の記録から死因について考察してみます。

 

死因は過労?

まず「諸葛亮 死因」でWeb検索すると、死因は過労死であるという記事が多いようです。確かに国を一身に担う立場であり、有能な人材も多くが亡くなってしまっていた斜陽の蜀で諸葛亮にかかっていた負担は計り知れません。諸葛亮の几帳面な性格も過労に拍車をかけていたと思われます。

しかし、「よく働く人が亡くなったら死因は過労死」というのは安直かもしれません。現代の制度で考えてみると、厚生労働省が定める過労死は過労自殺、あるいは脳卒中や心筋梗塞などの脳・心臓疾患による死亡の2種類に大別されます。「過労死等防止対策白書」によれば平成30年度のデータで、勤務問題を動機とする自殺は2,000人前後である一方、脳・心臓疾患に係る死亡で労災が認定されたのは82件と少ない状況です。隠れているケースはまだまだあるかもしれませんが、過労による自殺以外の病死はそれほど多くないと言えそうです。

諸葛亮について考えてみると、記録から自殺は想定しにくいですし、自殺以外の過労死は頻度的にも多くありません。また、次第に食が細くなり床に伏せるようになっていった様子は、突然死を引き起こすことの多い脳・心臓疾患による過労死の様子とは異なりそうです。

 

死因はがん?結核?

それでは過労死以外に想定される死因はどのようなものがあるでしょうか。まず、ゆっくり体調が悪くなっていき床に伏せることが多くなった経過から肺炎や急性虫垂炎などの急病は想定しにくく、悪性腫瘍やゆっくりと進行する感染症などが当てはまりそうです。血を吐いたエピソードも合わせると、胃がん、食道がん、食道静脈瘤、肺がん、胃潰瘍(いかいよう)、肺結核などが頻度的には考えやすそうです。

なお、吐血とは消化管からの出血によるものを指しますが、同様に口から血を吐く症状として肺や気管支からの出血による「喀血」があります。両者は見た目で区別しにくいこともあるため、今回は喀血を引き起こしうる肺がんや肺結核も考えられる死因の候補に入れました。

少なくともよく言われている過労死説について、歴史書の記録から積極的に裏付けられる根拠は乏しそうです。また、仮に諸葛亮が現代に存在したとすれば、過労であることは間違いないものの、次第に弱っていって吐血して亡くなるような経過で過労死の労災認定がなされる可能性は低そうです。「過労が原因で胃がんになった」というような可能性も否定はできませんが、現代の医学では過労と胃がんの明確な因果関係は説明できません。

 

4. おわりに

ここまで諸葛亮の健康状態についての記録を確認し、死因を考察しました。限られた情報の中での推測ではありますが、よく言われている過労死よりは胃がん、食道がん、食道静脈瘤、肺がん、胃潰瘍、肺結核などが考えやすそうだと分かりました。

 

 

過去の真相は当時を生きた人にしか分からないものです。しかし、先人が残してくれた記録に現代の医学知識を重ね合わせることで、歴史がより浮き彫りになりそうです。このコラムが歴史を楽しむ際の一助になれば幸いです。

 

 

※本ページの記事は、医療・医学に関する理解・知識を深めるためのものであり、特定の治療法・医学的見解を支持・推奨するものではありません。

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