WHOが発表する「緊急事態」とはそもそも何か?
まず初めに、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC:Public Health Emergency of International Concern)」について解説を行います。「PHEIC」とは、感染症の国際的拡大により、他国に公衆の保健上の危険をもたらすと認められる事態を意味します。つまり、緊急に国をまたいだ対策の調整が必要な事態のことです。PHEICに該当すると一度判断されると、WHO加盟国は国際的な感染対策のために、大きな労力が必要になります。そのため、PHEICに該当するかどうかは、世界から多くの専門家が参加する緊急委員会で慎重に検討されます。図1に示すように、これまでにPHEICと該当すると判断された感染症は、エムポックスを含めて7つしかありません。
図1.これまでのPHEICの事例
年度 | 事例 |
2009年 | 新型インフルエンザ |
2014-2016年 | エボラ出血熱(西アフリカ) |
2014年-現在 | ポリオ |
2016年 | ジカ熱 |
2018-2020年 | エボラ出血熱(コンゴ民主共和国) |
2020-2023年 | 新型コロナウイルス感染症 |
2022ー2023年 | エムポックス |
エムポックスの緊急事態宣言がなされた理由
エムポックスがPHEICに該当するかどうか、2022年7月21日に行われた緊急委員会では専門家メンバーの意見は一致しませんでした。しかし、WHO事務局長の判断でPHEICに該当すると宣言されました。その主な理由は以下になります。
- これまでのエムポックスの主な感染経路はリスなどのげっ歯類からのヒトへの感染でしたが、今回の流行における主な感染経路がヒトからヒトへの感染で、主に男性と性交渉を行う男性間(Men who have sex with men:MSM)での感染が拡大していた。
- 既に欧米中心に全世界で感染が拡大していた。
- これまでと疫学状況や臨床症状が異なるため、エムポックスの重症度や合併症などについても慎重な検討が必要と考えられた。
WHOはその時点で感染者が確認された国とされていない国とに分けて取るべき対応についてWHO加盟国に勧告を行いました。
国際的には感染者数は減少しているが、日本では増加傾向で注意が必要
WHOが2022年7月にPHEICに該当すると宣言して以降、世界各国で協力しながら感染対策をおこなってきました。具体的な感染対策はエムポックスの啓発や、ワクチン接種などです。世界における協力のおかげもあり、徐々に感染者数は減少していきました。また、WHOは定期的に緊急委員会を開き、PHEICに継続的に該当するかどうかの検討を行ってきました。2023年5月11日に開催された5回目の緊急委員会で、PHEICに該当しないという判断を行い、約1年間続いたエムポックスのPHEICが終了となりました。エムポックスがPHEICに該当しないと判断した主な理由は次の2つになります [1]。
- 世界的に感染症が持続的に減少しており、過去3カ月間に報告された報告数は、前の3カ月間に比べてほぼ90%減少した。
- エムポックスの重症度や臨床症状に変化がないことを確認できた。
それでは、エムポックスはこのまま収束へ向かうのでしょうか。図2に世界の新規感染者数の推移を示します [2]。
図2.世界のエムポックス新規感染者数の推移(OurWorldInDataより)
OurWorldInData.org. https://ourworldindata.org/monkeypoxより
図2にお示ししますように、世界的に新規陽性者の数が大幅に減少しています。特に、これまで感染の中心であった欧米における減少が顕著です。しかしながら、完全に根絶されたわけではありません。また、欧米と比較して感染者の数は多くありませんが、東南アジア地域や、日本が属している西太平洋地域で感染者数が増加していることに注意が必要です。
次に図3に日本における新規陽性者の状況を示します [3]。
図3.日本における発症日別の新規陽性者数(厚生労働省より)
厚生労働省:エムポックスについて. (2023年7月17日)
日本では、2022年7月25日に、国内1例目の患者が報告され、2023年7月14日公表時点で191例の症例が確認されています。世界では、2022年8月から10月をピークに新規陽性者の数は減少傾向ですが、反対に日本では2023年以降、患者の発生が増加しており注意が必要な状況となっています。2022年に欧米から全世界にエムポックスの感染者の数が増加したように、2023年に日本などのアジアから全世界に再度エムポックスの感染者の数が増加しないか、懸念される声も聞こえています。
緊急事態の終了が宣言されたが継続的な感染対策は必要
WHOはPHEICの終了を宣言しましたが、具体的に以下の点に留意し全世界に継続的な感染対策を呼び掛けています [1].
- エムポックスの「緊急事態」は終了したが、完全に根絶されたわけではない。
- 特に、日本など西太平洋地域の複数国では、感染者の報告数が増加傾向であるので特に感染拡大防止のために留意が必要である。
- 各国のHIVやその他の性感染症を感染対策プログラムの中に、エムポックスも含めて長期的に感染対策を行っていく必要がある。
日本でも正式に名称がエムポックス(Mpox)に変更になった
さて、読者の中で、用語について気づいた人はいますでしょうか。これまでのコラムでは「サル痘(Monkeypox)」という用語を使用していましたが、今回からは「エムポックス(Mpox)」という用語を意図的に使用しました。その理由を解説します。
サル痘の流行が拡大した際に、一部のコミュニティで人種差別やスティグマのような表現が見られ、WHOに報告されました。WHOは、2022年11月28日に、英語での新たな同義語としてMpoxを採用することを決定しました。また、世界的に流行している最中に名称が変わると混乱する懸念があることから、1年間の移行期間を経ることも提言しました。日本においても多くの議論が実施され、2023年5月26日に名称がエムポックス(Mpox)に正式に変更となりました。今後は、エムポックス(Mpox)を使用していきましょう。
おわりに
今は世界的には新規陽性者の数は激減しています。しかし、世界からエムポックスが完全に根絶されたわけではありません。また、日本では2023年以降に感染者の報告数が増加傾向で、日本といったアジアから全世界に再度感染が拡大していないかといった懸念もあります。HIVやその他の性感染症と同様にエムポックスの感染対策も継続的におこなっていきましょう(参考:サル痘の感染はどのようにして対策したらよいのか?)。
今後もコラムを通じてエムポックスについて解説していきますので、正しい知識を身につけ、過度に恐れず正しく恐れましょう。
【エムポックス関連コラム】
1. 世界中で感染拡大しているサル痘とは? 日本でも今後流行するのか?
2. サル痘の感染はどのようにして対策したらよいのか?
3. これってサル痘の症状?
4. 女性や小児におけるサル痘の特徴
5.(本コラム)サル痘(エムポックス)はもう心配しなくて良いのか?
執筆者
1. WHO. Fifth Meeting of the International Health Regulations (2005) (IHR) Emergency Committee on the Multi-Country Outbreak of mpox (monkeypox)
2. Multi-country outbreak of mpox, External situation report #26 – 14 July 2023 (2023年7月17日)
3. 厚生労働省:エムポックスについて. (2023年7月17日)
※本ページの記事は、医療・医学に関する理解・知識を深めるためのものであり、特定の治療法・医学的見解を支持・推奨するものではありません。