ナファモスタットはもともと急性膵炎などの治療薬ですが、2020年3月に東京大学医科学研究所のグループがCOVID-19に対する治療薬となる可能性を報告[4]して以来、日本を中心に臨床研究が進められている薬剤です。このコラムでは、COVID-19の治療薬候補であるナファモスタットについて現在までに分かっているデータを解説していきます。
ナファモスタット(フサン®)とはどのような薬剤なのか
ナファモスタット(フサン®)は日本の鳥居薬品が開発し1986年から発売されています。日本の医療現場では長く使用されている薬剤のひとつです。
ナファモスタットは蛋白分解酵素阻害薬というグループに分類される薬剤で、セリンプロテアーゼという酵素の働きを阻害します。
ナファモスタットの効果は主に2つあり、1つは炎症を抑えること、もう1つは血液を固まりにくくすること(抗凝固作用)です。これらの効果を利用して、以下のような治療で用いられます。
- 膵炎の急性症状の治療
- 播種性血管内凝固症候群(DIC)の治療
- 体外循環(血液透析など)の際に血液が固まらないようにする
一見、新型コロナウイルス感染症とは関係がなさそうな薬剤であるナファモスタットが、なぜCOVID-19に対する治療薬候補になったのかを次に解説します。
COVID-19の治療薬候補としてのナファモスタット
2020年3月に東京大学医科学研究所のグループからプレスリリースが出されました[4]。その内容は、「ナファモスタットには新型コロナウイルスが細胞に侵入するのを阻止する働きがあり、COVID-19の治療薬となる可能性がある」というものでした。
この発表があった当時は日本で新型コロナウイルス感染症が広まりつつあったタイミングで、まだ治療薬の情報が少ない時期でした。メディアにも大きく取り上げられたのでニュースなどで目にした人もいるかもしれません。このメカニズムについてもう少し掘り下げて説明していきます。
新型コロナウイルスはどのように感染するのか
新型コロナウイルスなどのコロナウイルスは、ウイルスの遺伝情報が書き込まれた「ウイルスゲノムRNA」が「外膜」に囲まれた構造をしています。外膜はエンベロープとも呼ばれ、細胞に感染する時に必要なSタンパク質(Spikeタンパク質)がとげのように付いています。
コロナウイルスが感染するときには、まずSタンパク質がヒトの気道の細胞膜にあるACE2受容体(アンジオテンシン変換酵素2受容体)に結合します。続いて同じく細胞膜に存在するTMPRSS2(Transmembrane protease, serine 2)というセリンプロテアーゼ(タンパク分解酵素)によって、コロナウイルスのSタンパク質の一部が切断されます。この反応が引き金となってコロナウイルスの外膜と気道細胞の細胞膜が融合し、ウイルスが細胞内に侵入していきます。こうして新型コロナウイルスの感染が成立するのです。
ナファモスタットの働き
ナファモスタットはセリンプロテアーゼ阻害薬であり、新型コロナウイルスの感染プロセスのうち前述のTMPRSS2の反応を抑える働きがあります。コロナウイルスが気道細胞に融合するときにはTMPRSS2の反応が引き金となっているので、TMPRSS2を抑えることでコロナウイルスの感染を防ぐことが期待されます。
ナファモスタットが候補に選ばれた経緯
理論上ナファモスタットがCOVID-19に効果がありそうなことは分かりましたが、どうして数ある医薬品の中からナファモスタットに白羽の矢が立ったのか、不思議に思う人もいるかもしれません。そこには2つの理由があります。
1. MERSウイルスに対する先行研究
新型コロナウイルスと同じくTMPRSS2の反応を引き金として感染するウイルスに、中東呼吸器症候群(MERS)ウイルスがあります。MERSウイルスはコロナウイルスの仲間であり、新型コロナウイルスと似たような性質を持っています。東京大学医科学研究所のグループは2016年に、ナファモスタットがTMPRESS2の反応を抑えることでMERSウイルスの感染を阻止する働きがあることを発表していました[5]。今回の新型コロナウイルス感染症の治療薬開発にあたり、4年前の研究結果からナファモスタットが有力候補ではないかと研究グループは考えました。そこで、ナファモスタットに的を絞って研究を進めた結果、プレスリリースで発表されたような有望な結果をいち早く見つけることができたのです。
2. ドラッグ・リポジショニング
それでは、上記の先行研究でナファモスタットが治療薬候補に選ばれたのはなぜなのでしょうか。ここで利用されたのが「ドラッグ・リポジショニング」と呼ばれる手法です[6]。「ドラッグ・リポジショニング」とは、既存薬から別の病気に有効な薬剤を見つけ出すことを言います。この手法を用いることで薬剤の開発にかかるコストを減らし、開発期間を短縮することができます。
以下でもう少し詳しく解説します。
新しい薬剤を一から開発するには、長い時間と多額の資金が必要です(興味のある人はこちらのコラムも参照してください)。もし、ある病気に対して既に効果が証明されている医薬品を別の病気に再利用することができたら、開発に必要な時間とコストを削減することが可能になります。ドラッグ・リポジショニングのために既存の医薬品や医薬品候補のデータベースが整備されており、ある病気についての研究結果から「このような薬が効くかもしれない」と予想がついたら、データベースを検索して候補になりそうな医薬品を探します。そしてその医薬品を使って実際に効果があるかどうかを調べるという手順で治療薬開発が進みます。すでに臨床現場で利用されている、つまり一定の安全性が保証されている薬剤を利用するため、臨床研究が迅速に進められることがこの手法の強みです。
東京大学医科学研究所グループの2016年の研究では、MERSの治療薬としてTMPRSS2を阻害するセリンプロテアーゼ阻害薬が有望であると予想されました。そこでデータベースの検索が行われ、セリンプロテアーゼ阻害薬のひとつであるナファモスタットが有力候補に選ばれたというわけです。
新型コロナウイルス感染症に対する迅速な治療薬開発が求められていますが、新薬の開発は必ずしも容易ではないのが現実です。以前の研究結果を振り返って新しい病気に応用すること、ドラッグ・リポジショニングの手法をうまく利用することで、ナファモスタットの再利用というアイディアが生まれたのです。
ナファモスタットのCOVID-19に対する効果は?
COVID-19治療薬としてのナファモスタットの効果は、理論の段階を通過して臨床現場における研究で検証されているところですが、東京大学のグループからいち早くCOVID-19患者さんに対するナファモスタットの使用成績が報告されています[7]。
集中治療室(ICU)に入室した11名のCOVID-19肺炎患者さんが対象となりました。
【ナファモスタットの使用成績の概要[7]】
対象となった患者さん |
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治療内容 |
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治療期間 |
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結果 |
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レムデシビルやデキサメサゾンの効果を検証した論文[1][2][3]では、人工呼吸器やECMOで治療を行った重症COVID-19患者さんの死亡率は20-40%と報告されています。この数字と比べると、今回の研究で示された死亡率9%という結果は期待が持てる成績と言えます。
重症COVID-19肺炎では、血液の過凝固状態(血液が固まりやすくなり血栓ができて全身の臓器にダメージを与える病態)が起きていることがわかってきました。研究グループは、ナファモスタットのTMPRSS2を阻害する働きに加え、血液を固まりにくくする作用が治療効果を発揮したのではないかと考察しています。
少数例の報告なので、この論文をもってナファモスタットの効果が証明されたとまでは言うことはできません。また、ナファモスタットと同時に投与されたファビピラビルの効果が上乗せされた可能性も考えなければなりません。それでも、死亡率9%という数字は有望な成績であることは間違いないでしょう。現在東京大学のグループではこの結果をもとにランダム化比較試験(より客観的に薬剤の効果を調査する研究)を実施中で、試験結果の公表が待たれます(jRCTs031200026)。
このコラムでは新型コロナウイルス感染症の治療薬として期待されているナファモスタットについて現段階で分かっていることを解説しました。日本を中心に臨床研究が進められている薬剤でもあり、今後の展開に期待して研究の動向を見守りたいと思います。
執筆者
- Grein J, Ohmagari N, Shin D, et al. Compassionate Use of Remdesivir for Patients with Severe Covid-19. N Engl J Med. 2020 Jun 11;382(24):2327-2336.
- Beigel JH, Tomashek KM, Dodd LE, et al. Remdesivir for the Treatment of Covid-19 - Final Report. N Engl J Med. 2020 Oct 8:NEJMoa2007764.
- RECOVERY Collaborative Group, Horby P, Lim WS, Emberson JR, et al. Dexamethasone in Hospitalized Patients with Covid-19 - Preliminary Report. N Engl J Med. 2020 Jul 17:NEJMoa2021436.
- https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/about/press/page_00060.html
- Yamamoto M, Matsuyama S, Li X, et al. Identification of Nafamostat as a Potent Inhibitor of Middle East Respiratory Syndrome Coronavirus S Protein-Mediated Membrane Fusion Using the Split-Protein-Based Cell-Cell Fusion Assay. Antimicrob Agents Chemother. 2016 Oct 21;60(11):6532-6539.
- Strittmatter SM. Overcoming Drug Development Bottlenecks With Repurposing: Old drugs learn new tricks. Nat Med. 2014 Jun;20(6):590-1.
- Doi K, Ikeda M, Hayase N, et al. Nafamostat mesylate treatment in combination with favipiravir for patients critically ill with Covid-19: a case series. Crit Care. 2020 Jul 3;24(1):392.
※本ページの記事は、医療・医学に関する理解・知識を深めるためのものであり、特定の治療法・医学的見解を支持・推奨するものではありません。