そもそもワクチンとは?
ワクチンとは、身体が持っている免疫システムのうち「獲得免疫(微生物の特徴を記憶して再度感染しにくくする仕組み)」を強化することで特定の感染症にかかりにくくする薬剤です。弱毒化した、もしくは無毒化した病原体を注射などで身体に投与し、病原体に対する「抗体」を作っておくことで、本当の病原体が身体に入ってきたときに即座に排除できるようにします。ワクチンを打つことで、「感染症にかかりにくくなる」「感染症が重症になりにくくなる」「周りの人に感染症をうつしにくくなる」ことが期待できます。ワクチンについてより詳しく知りたい人は、「新型コロナウイルス感染症のワクチンはいつできるのかと待望論:この機会にワクチンについて考える」も参考にしてください。
どのような病気がワクチン開発の対象になるのか?
いわゆるワクチンの対象となるのは細菌やウイルスによる「感染症」です。その中でも感染力が強く広まりやすいものや、いったん感染してしまうと重大な結果を引き起こすものはワクチンで予防する必要があります。
例えばジフテリア菌は鼻やのどなどの上気道から感染する細菌ですが、呼吸困難や心筋炎による心機能の低下などを引き起こして10%近い人が亡くなってしまう感染症です。日本では1945年には約8万人の感染者が報告されていましたが、ジフテリアを含む三種混合ワクチン(DPTワクチン)の登場により近年はほとんど報告されないまでに減少しています。
また、麻疹は空気感染する麻疹ウイルスによって引き起こされる感染症です。肺炎や脳炎などを起こして重症化する場合があり、死亡率は1000人に1人と言われています。感染力が強く流行しやすいこともあり、幼児期の麻疹ワクチン(麻疹風疹混合ワクチン;MRワクチン)接種が推奨されています。
現在問題になっている新型コロナウイルス感染症は非常に感染が広がりやすく、また重症化すると命に関わる感染症であることが分かっています。感染の拡大を防ぎ、また重症化して亡くなる人を減らすために、新型コロナウイルスに対するワクチン開発が望まれています。
ワクチンが開発されるまでの5つのステップ
新型コロナウイルス感染症などの感染症に対するワクチンが新たに開発される場合、市場にワクチンが登場する前にいくつかのステップを踏む必要があります。具体的には次の5つのステップがあります。
1. 基礎研究
2. 前臨床研究(動物実験)
3. 臨床研究
4. 製造販売承認
5. 製造販売後調査
このように繰り返し時間がかけられている理由は、新しいワクチンに本当に効果があるのかを見定めるとともに、重大な副反応が起こらない安全なワクチンであるかどうかを調べるためです。
1. 基礎研究
ある感染症に対するワクチンを作るためには、対象となる病原体そのものを手に入れて増やす必要があります。病原体を単独で取り出すことを「分離」とよび、分離した病原体を人工的に増やすことを「培養」とよびます。基礎研究では病原体の分離・培養を行い、病原体の構造を調べたり、遺伝情報を調べたりします。こうして増やした病原体から感染性をなくしたり弱めたりしたものがワクチンの原料となります。
◎ワクチンの種類について
ワクチンが身体に投与されたとき、免疫システムによって認識されるのは「抗原」と呼ばれるたんぱく質です。体内では「抗原」を「型」として抗体が作られます。つまりワクチンとは抗体の型となるたんぱく質を身体の中に入れて免疫を高める治療法と考えることができます。
どのような方法で「抗原たんぱく質」を体内に入れるか、という観点からワクチンはいくつかの種類に分かれています。以下は少し専門的な内容になりますので興味のある人は読んでみてください。
【不活化ワクチン、生ワクチン】
分離・培養された病原体はたんぱく質そのものです。これをそのままワクチンに精製したものを「不活化ワクチン」や「生ワクチン」と呼びます。
- 不活化ワクチンの例
- インフルエンザ菌b型ワクチン(Hibワクチン)
- 日本脳炎ワクチン
- 生ワクチンの例
- BCGワクチン
- 麻疹風疹混合ワクチン(MRワクチン)
【組み換えウイルス様粒子(VLP)ワクチン、組み換えたんぱく質ワクチン】
抗体の型となる「抗原たんぱく質」を病原体から取り出すのではなく、人工的に作ってワクチンに精製したものです。VLPワクチンは、ウイルスから遺伝情報を取り除いた骨格の部分(外殻たんぱく質)を人工的に作ったもの、組み換えたんぱく質ワクチンはウイルスの一部分を人工的に作ってワクチンの原料としたものです。
- VLPワクチンの例
- B型肝炎ワクチン
- 子宮頸がんワクチン
【ウイルスベクターワクチン】
「抗原たんぱく質」の設計図である遺伝子を体内に投与し、身体の中でウイルスのたんぱく質を作り出す方法です。遺伝子を体内に運ぶ「運び屋(ベクター)」として、病原体とは別の毒性のないウイルスを利用します。病原体の遺伝子を組み込まれたベクターウイルスが身体の中に侵入し、そこで病原体由来の抗原たんぱく質を作り出して抗体生成を促します。
- ウイルスベクターワクチンの例
- エボラウイルスワクチン(欧州や中国で承認)
【DNAワクチン、mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチン】
「抗原たんぱく質」の設計図であるDNAやmRNAを直接体内に投与する方法です。身体の中に入ると細胞内でDNAからmRNAが作られ(転写と呼びます)、mRNAから抗原たんぱく質が作られます(翻訳と呼びます)。現在までに実用化されたDNAワクチンやmRNAワクチンはありませんが、世界中で活発に研究されている新しいタイプのワクチンです。
2. 前臨床試験(動物実験)
基礎研究の結果から効果が期待できるワクチンが開発されたら、動物を利用した「前臨床試験」でその効果や副作用をさらに詳しく調べます。ワクチンの前臨床試験においては、特にワクチンの安全性を調査します。具体的に調べるのは以下のような点です。
- ワクチン投与後の副反応が出ないか
- 繰り返し投与した場合に副反応が出ないか
- 妊娠中の投与で妊婦や胎児に影響が出ないか
ワクチンに対する反応は人と動物で必ずしも同じではありませんが、ワクチンを実際の人に投与する前に基本的な安全性について確認する必要があります。
3. 臨床試験
前臨床試験で安全性が確認されたワクチンの候補は、続いて人に対する投与を行う「臨床試験」に進みます。臨床試験では実際の人にワクチンを投与することでその効果と副作用についてさらに詳しく調べます。臨床試験は第I相、第II相、第III相試験の三段階に分けられます。
◎第I相試験
少人数の健康な成人を対象とした試験で、前臨床試験のデータを元にしてワクチンの投与を行います。特に安全性に着目し、どのような副反応が起こるのかをチェックします。副反応は局所反応(接種した場所が腫れる、赤くなる、硬くなる、痛みが出る、など)と全身反応(熱が出る、頭痛、だるさを感じる、筋肉痛、など)に大別することが出来、ワクチン接種から28日間以内に発生した副反応はそのどちらもチェックする必要があります。
◎第II相試験
数十人規模の人を対象とした試験で、ワクチンの接種量、接種回数、接種間隔、接種経路(皮下注射、筋肉注射、経口投与など)を異なるパターンで組み合わせて、最も効果が期待されかつ安全な接種方法を見つけます。ワクチンの効果の指標としては、抗原たんぱく質に対する抗体がどの程度産生されているかをチェックします。いくつかの種類の抗体が作られますが、中でも病原体の感染をブロックする効果があるものを「中和抗体」と呼びます。第II相試験の結果から新ワクチンの接種量・接種スケジュールを決定します。
◎第III相試験
第II相試験までに決定した接種量・接種スケジュールで、数百人から数万人規模の人を対象にワクチンを接種して有効性・安全性を最終検証する臨床試験です。
第III相試験では「ランダム化比較試験」と呼ばれる方法がとられることが多いです。これはワクチン接種者を2つのグループに分け、グループAには新規ワクチンを、グループBにはプラセボ(見た目は同じだが効果のない偽薬)を投与し、その効果を比較する方法です。どちらのグループに入るかは特定のルールによらずランダムに決められます。また「盲検化」といって、どちらのグループに入ったかを接種された人も担当医も分からないようにして試験を進めます。これは、本物のワクチンを接種されたかどうかが分かってしまうと、思い込みや気分で治療効果や副反応の評価に影響が出てしまうためです。
第III相試験は、科学的に公平な条件で新薬とプラセボを比較するため、期待感などによる評価の偏りが最小限になります。つまり、ワクチンの本当の実力を証明するのは第III相試験ということになります。この高いハードルを乗り越えたワクチンが、本当に有効なワクチンとして私たちのもとに届くのです。
4. 製造販売承認
臨床試験で有望なデータが得られたワクチンを製造販売するために、厚生労働大臣に承認申請を行います。詳細は省きますが、安全性や効果の審査、薬価(薬の値段)の決定や保険適用の判断といった綿密な手続きを経て市場で販売され、私たちの元に届けられます。
5. 製造販売後の調査
臨床試験の結果は試験に参加した人のみを対象にした限られたデータであり、製造販売された後により多くの人にワクチン接種が行われると、これまでに知られていなかった副反応が見られることがあります。ワクチンの製造販売業者は、国内外の安全性情報を速やかに調査して情報提供することが求められています。
ワクチンの製造・管理
ワクチンは通常の薬とは異なり、ウイルスや細菌などの病原体を利用した医薬品です。このように生物から取り出した物質をもとにして作られた医薬品を「生物学的製剤」と呼びます。生物学的製剤は一般的な医薬品よりも品質が変化しやすいことが知られており、製造プロセスにおいては薬機法に基づいた厳しい管理が求められています。また比較的大量の製品を供給する必要があり、高品質で大量生産が可能な工場を建設するために多額の設備投資が必要になります。
具体的なワクチンの製造過程は以下のとおりです。
1. ワクチンの原液作製
培養・分離した病原体から不純物を取り除いて精製し、ワクチンの原液を作ります。
2. 調整
アジュバント(ワクチンの効果を強める物質)や安定剤を加え、一定の濃度となるように調整します。
3. 分注、包装
調整した液体をバイアルや注射筒に分注し、包装します。
4. 品質のチェック
ワクチンの各ロットで効果や安全性が一定しているか、不純物が混じっていないか、無菌状態になっているかどうかなどの品質を厳しくチェックします。国が定めた基準をパスした製品にはその証としてラベルと添付文書が付けられ、市場に出荷されます。
ワクチンは開発から臨床試験を進める過程にも多大なリソースを必要としますが、製造販売承認されたあとの製造・管理のプロセスでも大きな設備投資や高いレベルの品質管理を求められるのです。
どのくらいの時間とお金がかかるのか?
これまでに解説したように、ワクチン開発にはいくつものハードルが存在しています。これらのハードルを乗り越えて製品化されるまでにはどれだけの時間と資金が必要なのでしょうか。
ワクチンの候補を見つける基礎研究に始まり、臨床試験を行って医薬品として承認を受けるまでには一般的に10-15年もの時間がかかります。また、これらの開発・臨床試験を進めるのに必要な費用は総額で約1000億円にもなると言われています。このように長い時間と莫大な費用を必要とするワクチン開発ですが、ワクチン候補のうち実際に製造販売承認を得られるものは10分の1未満とされています。ワクチンは人類にとって大切な薬ですが、決して簡単に開発できるものではないということが分かります。
新型コロナウイルスのワクチンはいつできるのか?
新型コロナウイルス感染症という過去に例のない全世界的な流行に対し、各国政府、製薬企業、WHOなどが協力してかつてないスピードでワクチン開発が進んでいます。2020年10月19日現在、全世界で44種類のワクチン候補に対する臨床試験が進行しており、また154種類のワクチン候補に対する前臨床試験が行われています。
いつ新型コロナウイルスのワクチンができるのかは現時点で明らかではありませんが、一般的なワクチン開発にかかる年月よりはかなり短い期間でワクチンが提供されることになりそうです。関係者の多大な努力に敬意を表するとともに、開発期間を短縮することに伴うデメリット、特にワクチンの安全性が十分に評価されているかどうかには注意を払う必要があります。
このコラムではワクチンがどのように開発されるのかを解説しました。新型コロナウイルス感染症に対する切り札とも言われるワクチンですが、安全で高品質のワクチンを製造するためには時間とお金をかけていくつものステップをクリアする必要があるということを知っていただければ幸いです。
執筆者
・厚生労働省:ワクチンの供給状況について
・医薬品医療機器総合機構(PMDA):感染症予防ワクチン・血液製剤
・WHO:Draft landscape of COVID-19 candidate vaccines
・PhARMA ワクチンファクトブック2012(日本語版)
(2020年10月26日閲覧)
※本ページの記事は、医療・医学に関する理解・知識を深めるためのものであり、特定の治療法・医学的見解を支持・推奨するものではありません。