2017.03.18 | ニュース

幹細胞治療、進む研究の陰に“見えない障害”?

理研の研究成果と怪しい治療の被害

from New England Journal of Medicine

幹細胞治療、進む研究の陰に“見えない障害”?の写真

iPS細胞由来の組織を滲出型加齢黄斑変性の患者に移植した、理研の髙橋政代氏らの研究で、移植1年後にも安全性を確認できたことが報告されました。一方、社会の一角では「幹細胞」をうたう治療の被害も出ています。

幹細胞とは、ほかの細胞に変化(分化)する能力を持つと同時に、分裂して自分と同じ細胞を増やす能力を持つ細胞のことです。

一般に、体の各部で働く細胞は幹細胞から分化して生まれますが、違う系統の細胞に変化したり、分化する前の状態に戻ったりすることはありません。つまり分化した細胞を「枝」にたとえると、枝の先は細かく分かれていくしかありません。幹細胞は「枝」が分かれる前の「幹」にあたる細胞です。
iPS細胞は、分化した細胞を人工的に変化させ、さまざまな細胞に分化できる幹細胞としての能力を与えたものです。

 

滲出型加齢黄斑変性は、網膜の異常により急激な視力低下などを引き起こし、失明の原因になることもある難病です。いくつかの治療法がありますが、再発しやすいなどの課題が多く残されています。
髙橋氏らの研究では、iPS細胞を利用した治療が試されました。

滲出型加齢黄斑変性の女性患者1人が研究対象となりました。研究グループは、皮膚の細胞からiPS細胞を作成し、iPS細胞から分化させた網膜色素上皮細胞のシートとして、患者の眼に移植しました。移植手術は明らかな問題を起こすことなく完了しました。

手術後に嚢胞状黄斑浮腫が見られましたが、移植したシートの異常ではないと判断されました。手術後1年の時点で視力は手術前から低下がなくほかの問題も指摘されませんでした

研究の成果は医学誌『New England Journal of Medicine』に掲載されました。

 

髙橋氏らの研究報告と同じ号の『New England Journal of Medicine』に、アメリカで起こった「幹細胞」の被害の報告が掲載されています。

この報告では3人の被害者の例が挙げられています。この3人は、アメリカの「幹細胞クリニック」と称する施設で、脂肪組織から作った「幹細胞」と称するものを眼球(硝子体)の中に注射されました。3人の注射前の視力は20/30(日本の方式で言うと0.67)から20/200(日本の方式で0.1)でした。注射後の視力は20/200(0.1)から、最も悪い人ではまったく光を感じることができなくなっていました

 

iPS細胞は非常に大きな話題となり、将来を期待する世論が広まりました。しかし、どんなに有望と思われる技術でも、人体に重大な害を及ぼさないかどうかは試してみるまでわかりません。髙橋氏らの研究でさえ、何年もかけて安全性を確認しながら進められています。

一方で、日本でも幹細胞を利用するとして安全性不明の治療を行っている施設や、植物の幹細胞を利用としたとする化粧品をあたかも再生医療と関係するかのように宣伝している例もあるのが現状です。

 

新しい技術が注目されながら実用に入っていくとき、注目度に便乗した不誠実な動きが生まれることも珍しくありません。

2012年には「iPS細胞を使った世界初の心筋移植手術を実施した」と偽った東京大学病院の研究員が懲戒解雇されました。

2015年には、自由診療として幹細胞移植を実施するクリニックで治療を受けた患者が損害賠償を求めた訴訟で、患者側勝訴の判決が下りました

幹細胞以外の分野でも、2016年にはメディアで「夢の新薬」と話題を呼んだニボルマブ(商品名オプジーボ)を「がん免疫細胞療法」と併用するという根拠のない治療を受けた患者が死亡した例などが問題とされ、製薬会社から「適正使用のお願い」が出されました。

こうした「悪用」は、新しい技術が健全に進歩する道筋をゆがめ、社会からの信頼を損ない、人の役に立つはずだった新技術の普及を妨げる恐れもあります。本来の文脈とは関係ない場面で起こったことが先端研究の障害になるようなことがあれば、社会全体にとっての大きな損失です。

 

悪い事例が生まれないよう社会全体で監視することは重要な問題ですが、現実として身近に出会う恐れがある以上、患者自身が身を守ることも必要です。

健康保険が適用されている治療は、安全性を慎重に吟味されたうえで認められたものです。使用が認められていても重大な副作用や事故が絶対に起こらないという意味ではありません。先進医療として厚生労働省が認める治療などもありますが、「先進」という名前は「優れている」という意味ではありません。

どんな治療にもリスクがあります。安全性がどのように検証されているかは、新しい治療を使うべきかの判断に欠かせない点です。

幹細胞に限らず、「先端技術」「最新治療」をうたって誇大に利点を強調するものには「そんなうまい話があるだろうか」という感性を持って臨み、公的制度に基づかないものには自衛のためにも十分警戒するべきと言えるでしょう。

執筆者

大脇 幸志郎

参考文献

Autologous Induced Stem-Cell–Derived Retinal Cells for Macular Degeneration

N Engl J Med. 2017 Mar 16.

http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1608368

 

Vision Loss after Intravitreal Injection of Autologous “Stem Cells” for AMD

N Engl J Med. 2017 Mar 16.

http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1609583

※本ページの記事は、医療・医学に関する理解・知識を深めるためのものであり、特定の治療法・医学的見解を支持・推奨するものではありません。

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