2015.12.14 | コラム

幹細胞とは何か(10)幹細胞研究の現在と展望

臨床試験開始、しかし課題も山積
幹細胞とは何か(10)幹細胞研究の現在と展望の写真
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前回は、幹細胞の有望性と問題のルーツともいえる「HeLa(ヒーラ)細胞」についてお話しました。これも含めてこの連載では、どちらかというと幹細胞研究の「有望性」よりも「問題」のほうに着目してきました。

しかしこの連載で述べてきた「問題」のほとんどは「課題」でもあります。それらを克服しなければ、治療効果という利益が得られないどころか、有害事象など大きな損失が生じる可能性があります。最終回では、幹細胞研究の現在と展望について、その一端を紹介します。

 

◆ES細胞、iPS細胞の臨床研究

2010年10月、アメリカのバイオ企業ジェロン社は世界で初めてES細胞を使った臨床試験を開始しました。ヒトES細胞から「オリゴデンドロサイト前駆細胞」という神経細胞を手助けする細胞をつくり、それを骨髄損傷の患者に移植し、神経の機能を回復させようとしました。同年11月には、同じくアメリカのバイオ企業ACT社がヒトES細胞から「網膜色素上皮細胞」をつくり、それを黄斑変性症という目の病気の患者に移植し、視力の回復を目指しました。

ところが2011年11月には、ジェロン社はコストがかかりすぎることを理由に臨床試験を中止していまいました。これまで4人の患者を治療したが、大きな有害事象は見られなかったとのことです。一方、ACT社による臨床試験の結果は2012年1月、著名な医学雑誌『ランセット』で公表されました。それによると治療は2人の患者に行なわれ、有害事象は観察されず、視力の回復が見られたとのことです。しかしこの結果に疑問を投げかける専門家もおり、評価は定まっていません。

iPS細胞を使った臨床研究は日本で始まりました。2014年9月、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの高橋政代プロジェクトリーダーは、「加齢黄斑変性」という目の病気の患者自身の細胞からつくったiPS細胞(自家iPS細胞)から、さらに網膜色素上皮細胞をつくり出して、それを患者に移植しました。これまでとくに副作用などは見られないとのことです。(なおこの時期、同センターはSTAP細胞問題で注目を集めてしまっており、臨床研究実施への影響も懸念されていました。)

理研はこの臨床研究の2例目を用意していたのですが、2015年3月、研究者らは移植手術の実施を見送ったことを講演で明らかにしました。その後、不確かな情報がメディアで流れたのですが、現在、現状の課題を検討中のようです。

また京都大学iPS細胞研究所は、iPS細胞でパーキンソン病を治療することを計画しています。そのほかにも国内外複数の研究機関がES細胞やiPS細胞を使った臨床研究を検討しているようです。

 

◆iPS細胞 vs クローンES細胞?

ところで、ファン・ウソク事件で信頼性を失い、iPS細胞で需要がなくなったともいわれる「セラピューティック・クローニング」、つまりクローン胚からつくったES細胞(クローンES細胞)で免疫拒絶反応を回避して行なう再生医療、という方法論も再検討され始めています。

というのは、2014年7月、クローンES細胞とiPS細胞を比較したところ、前者のほうが通常のES細胞(体外受精胚からつくられたES細胞)に近い、という研究結果が出てきたからです。臨床にはクローンES細胞のほうが向いているとも解釈できる知見です。しかし同年11月には、どちらも変わらないという研究結果も出てきました。まだ結論は出ていないようです。

また、クローンES細胞はどうしても卵子を必要とすることが最大の問題でした。ところが実は2007年の段階で、体外受精が成功しなかった卵子(非受精卵)に体細胞を核移植してクローン胚をつくり、それからクローンES細胞をつくることが可能だということも、マウスの実験結果ではあるものの、明らかになっていたのです(この実験を実施したのは、クローン研究で数多くの成果を上げてきたものの、STAP細胞問題で論文の共著者になってしまった若山照彦・現山梨大学教授でした)。

つまり日本ではiPS細胞の優位性ばかりが知られている印象がありますが、セラピューティック・クローニングにも、少なくとも検討の余地はまだあるということです。

 

◆連載の終わりにあたって

また、この連載では、幹細胞の用途として「再生医療」ばかりを取り上げてきましたが、ES細胞やiPS細胞は医薬品の開発に使うことなども期待されています。

ES細胞もiPS細胞も、安全性や有効性はもちろんのこと、生命倫理的な課題も山積みであることは、この連載で語ってきた通りです。それらを軽視して成果を出そうと焦れば、不十分な研究結果が世に出てしまうだけでなく、研究不正や有害事象の原因にもなりかねません。

幹細胞をはじめとする生命科学が、そうしたたくさんの大きな課題を乗り越えたうえで社会に英知をもたらし、人を救う成果を生み出すことを祈りつつ、この連載を終えることにします。

執筆者

粥川 準二

※本ページの記事は、医療・医学に関する理解・知識を深めるためのものであり、特定の治療法・医学的見解を支持・推奨するものではありません。