2015.12.02 | コラム

幹細胞とは何か?(9)死なない細胞「HeLa(ヒーラ)」

初めて培養できたヒト細胞が提起してきたこと

幹細胞とは何か?(9)死なない細胞「HeLa(ヒーラ)」の写真

前回は、残念な結果に終わった「STAP細胞(と呼ばれたもの)」について解説しました。今回は、幹細胞ではないのですが、世界で初めて培養することに成功した「HeLa(ヒーラ)細胞」についてお話します。幹細胞の画期性と問題のうちいくつかは、このHeLa細胞に遡ることができるのです。

1951年まで、ヒトの細胞を培養すること、つまり生かしたまま増やすことはできませんでした。動物の細胞を培養することはできたのですが、動物の細胞は動物の細胞です。ヒトについて細胞レベルの研究をするためには、ヒトの細胞がどうしても必要でした。

その年の2月、当時31歳だった黒人女性ヘンリエッタ・ラックスは、下着に血が染みているのを見つけて、メリーランド州のジョンズホプキンズ大学病院を受診しました。医師が子宮頸部を検査したところ、腫瘍を見つけたので、採取して検査にまわしました。腫瘍は悪性でした。放射線治療の甲斐なく、がんは悪化し、彼女は同年10月4日に亡くなりました。

 

彼女の腫瘍細胞は、同病院の組織培養研究部長ジョージ・ガイの研究室にも送られていました。培養できるヒト細胞を探していたガイは、ヘンリエッタの腫瘍細胞が驚くほどの早さで増殖するのを目撃し、驚嘆しました。ガイはこの細胞を、ヘンリエッタ・ラックスの頭文字をとって「HeLa細胞」と名づけました。

ヘンリエッタの死後、ジョンズホプキンズ大学の医師たちは、夫のデービッド・ラックスに、がんの研究に使うために彼の妻の細胞を採取することを認めてくれないかと依頼しました(ガイはすでにヘンリエッタの細胞を入手していたのですが)。デービッドは最初、それを断りました。しかし他の家族とも相談し、自分の子どもや孫が病気になったときに役立つなら、と考えて承諾しました。デービッドは、何かわかったら医師たちは連絡してくることを期待していたのですが、連絡はありませんでした。

一方でガイは、この細胞を世界中の研究者たちに送りました。研究者たちはHeLa細胞を培養して、病気の原因や発症メカニズム、治療法の探索、薬や放射線の影響などさまざまな研究目的のために利用しました。なかでもピッツバーグ大学のジョナス・ソークは、HeLa細胞を使ってポリオウイルスの研究を劇的に推進することができ、ポリオワクチンを開発することに成功します。

 

そのことをラックス家の人たちは知りませんでした。ところが1975年のある日、ヘンリエッタの義理の娘バーバラが、ほんの偶然、ワシントンでHeLa細胞を使って研究している科学者と知り合ったことにより、ラックス家の人々は、ヘンリエッタの細胞が生き続け、世界中の研究室で実験ツールとして広く利用されていることを知りました。ラックス家の人々が受けたショックはとてつもなく大きかったようです。細胞がヘンリエッタの身体から採取されてから、実に24年後のことです。

同じころ、研究者の間でも問題が生じていました。HeLa細胞の作成成功後、ヒト細胞の培養は簡単にできるようになり、研究者らは自分や自分の家族、患者から採取した細胞を使って研究を行うようになりました。ところが、HeLa細胞はその増殖能力があまりに高かったため、実験室内にあるほかの細胞の試験管やシャーレにも、ピペットなどを通じて入り込んでしまい、増殖し、それらを乗っ取ってしまっていることが疑われたのです。つまり自分たちがほかの細胞だと信じているものの大半は、実はHeLa細胞ではないか、と。

ところが研究者たちはHeLa細胞が由来する人について、死んだ黒人女性であること以外、何も知りませんでした。彼らはラックス家に連絡を取り、HeLa細胞についての情報を入手するために、家族の血液を採取しました。しかし研究者らは自分たちの目的を達成してしまうと、ラックス家には連絡しなくなってしまったといいます。そしてラックス家の人々は科学・医学界に不信を持ち続けました。

 

その後、いくつかのメディアがHeLa細胞やヘンリエッタ・ラックスを取り上げたこと、また、社会全般で人権意識や生命倫理への関心が高まってきたことなどにより、ラックス家をめぐる雰囲気は徐々に変わりました。1990年代からヘンリエッタとその家族は、モアハウス大学、アトランタ市、アメリカ議会下院、スミソニアン博物館などから名誉を称えられるようにもなりました。ヘンリエッタのゆかりの地には記念看板などもあります。

幹細胞研究を含めて、HeLa細胞がなければ、医学の発展はずいぶん遅れたでしょう。HeLa細胞は、ヘンリエッタが気づくことなく採取され、家族が知ることもなく世界中に配布された一方で、数多くの研究成果に結び付きました。にもかかわらず、貧しいラックス家の人々は、通常の医療にかかることにさえ苦労し続けたのです。

 

ラックス家の物語は、「必要かつ十分なインフォームドコンセントとは?」、あるいは「人体を資源化・商品化することは許されるのか?」といった古典的な生命倫理問題を現代にも投げかけてきます。iPS細胞の時代を迎えてもなお、そうした問題は解決したとは言い難いのです。

 

次回は最終回として、幹細胞研究で期待されることについてお話します。

執筆者

粥川 準二

※本ページの記事は、医療・医学に関する理解・知識を深めるためのものであり、特定の治療法・医学的見解を支持・推奨するものではありません。

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